「粛々と併合・占領返上し」
―ユーモアのない自作川柳だ。安倍は辺野古基地の建設を強行しながら、会談を拒否しつづけた。違法なコンクリート塊の投下で珊瑚礁を破壊し、県が工事を禁止すると、身内の農水省に知事の権限を停止させた。沖縄差別・住民自治の蹂躙はきわまった。
4月、やっと幹事長、続いて安倍首相との短い会談が行われた。前者のあとの記者会見記事の知事発言には、堂々たる沖縄の「今」がある。
かつて本土防衛の捨て石にされた沖縄。占領した米軍は、銃剣とブルドーザーで軍事基地を作った。普天間の代替案を示せというが、もともと奪われた土地だ。「日米安保のため」と新基地を押しつけて恥ずかしくないのか?
―我々は立川の先例を記憶すべきだと思う。米軍は老朽化した基地の代わりに新基地を手に入れる。米軍が撤退すれば自衛隊が入るだろう。沖縄の人々はかつてと同様に、天皇制日本の身代わりの戦場になる可能性を見通している。
振興策の話もでたが、いい話をして局面をのりこえたら、基地問題は知らんふりが戦後七〇年だった。戦略的な意味からも米軍は辺野古にこだわってはいない。むしろ日本がそれをひきとめている。
沖縄は平和の中にあってはじめて、世界の架け橋になることができる。平和の緩衝地帯として他の国々との摩擦が起きないような努力の中に沖縄を置くべきだ。
―周辺住民の理解なくして基地はありえない、という常識を超える安倍政権の「国権」乱用。今後各地で強権をふるうであろう安倍政権のやり口だ。その後、沖縄の財界がこぞって「辺野古基金」を作り、アメリカ本土の世論喚起に役立てることになったという報道。新基地はできない。
めまぐるしく情勢は転回している。集団安保法制協議は政権内で合意され、近く国会に法案が出てくる。そんな中で1泊2日、宿泊は巡視艇船内、という強行軍の旅が行われた。天皇夫妻のこの姿勢を評価し、ほっとひと安心する向きも多い。報道にはその空気が満ちている。だが問題はそれほど単純ではない。
戦後70年。新たな「安倍談話」が話題にのぼる中で、我々はマスコミが触れなかった植民地支配の問題に目をむける必要がある。かつてドイツ領だったパラオは「南洋諸島」と呼ばれ、第一次大戦の戦勝国である日本が委任統治領にした島々である。遠い南の島々に、なぜ日本軍の守備隊が駐留していたのか、島々が天皇制日本を守るための戦場になり島民が動員されたのは理不尽ではないか、その構図は沖縄戦と同一だ。その天皇の末裔による慰霊は何を意味しているのか、まして我々がXデーも近い彼らの行為で免責されたように感じるのは間違っているのではないか?
4月はあわただしくすぎていった。5月3日の憲法集会をやっぱり三多摩でやろうという一致点は、生活の場、身近な市民同士の繋がりを重視する考えの表れだと思う。ビラをたくさん刷り、ポスターを市内全域に貼った。賛同人はほぼ二百名になった。だが駅前でビラを受け取る人は少なく、宣伝のやり方にも工夫するべきだと痛感した。
4月18日の三多摩労争連春季決起集会では、フランスから帰国したばかりの一橋大学の鵜飼哲さんを招いた。19日には、シビルで池田浩士不連続講座「ファシズムとボランティア」が始まった。いずれも多くの人が参加した。
身体を動かす、頭を使う、両方とも必要だ。ちょっと若くないけれど、身体と頭をともに鍛えてがんばろう。