安倍政権は極めて危険な道を突き進んでいる。言うまでもない集団的自衛権の行使容認だ。
現在は公明党との協議中であるというが、世論も徐々に注目の度合いを高めてきた。先月26日付朝日新聞の世論調査によれば、行使容認「反対」が55%と、「賛成」を大きく上回った。
行使容認を許せば、行先は必ず米国の戦争への自衛隊の参戦であり、戦死者の誕生であり、その「英霊化」だ。絶対に阻止しなければならない。
「米国が日本を守ってくれるのに、日本が米国を守らなくていいのか」と政府は言う。だが歴史を大きく概観してみれば、これは日米安保体制の誕生時にさかのぼるウソだ。
1950年代、日米安保条約の改定に関して極秘交渉が進められていた。この交渉の中で、外相の重光葵は、「日本はゆくゆく米国と集団的自衛権を行使する態勢を作るので、在日米軍基地を撤去してほしい」と要望したという。
それに対する米国側の答えは、明確な「NO」だった。「集団的自衛権はいらない。それよりも在日米軍基地の恒久化を」という米国の恫喝があったという(豊下楢彦『集団的自衛権とは何か』)。
「集団的自衛権よりも基地を」これは、現在まで変わらぬ米国の姿勢だ。辺野古新基地への米国の熱意は本物だが、集団的自衛権はむしろ日本政府の希望である。
93年に米国が朝鮮の核施設を攻撃する計画を立てた時、日本政府は米国の協力要請を断った。「集団的自衛権は行使できないから」が理由だった。
それから20年。その間、「周辺事態法」(99年)、「対テロ特措法」(01年)、「イラク特措法」(03年)と対米協力を拡大し、ついに集団的自衛権までたどりついた。
日本政府には、もはや対米交渉をする意思も能力もない。
安倍がいくら「最後は日本が独自で判断する」といっても、1ミリも信用できない。
たとえば米国に対して9・11クラスの攻撃があったときに、日本政府は報復への参戦を断れるのか?あの時の雰囲気を思い出せば、到底無理な話である。
01年9・11攻撃への自衛権行使として行われたアフガニスタン対テロ戦争には、集団的自衛権を行使してNATO諸国や韓国などが参戦した。
結果は散々であり、現在でもアフガンの戦火は止まない。多くの国が戦死者を出し、撤退に追い込まれた。米国の戦争に付き合うとは、ああいう戦争に自衛隊が参戦することを意味するのだ。
「戦争を国民に支持させるのは簡単だ。『わが国は狙われている』と宣伝し、反対者を『非国民』となじればいいのだから」と言ったのはナチスのゲッペルスだった。
つまり対外的な危機醸成と国内的な弾圧をセットで行うことが戦争への道だということだ。
テント村メンバーが半年以上にわたって公安刑事に尾行されている。発端は、昨年秋の国体観戦に来た天皇夫妻に向けて、「もう来るな」と書いた布を掲げたことだった。
布一枚掲げただけで、警察のつきまといを受ける。自宅や職場の周囲をうろつかれ、写真を撮られる。これが、この国の「民主主義」の現実だ。
突出した弾圧を仕掛けることで周囲から孤立させ、運動から引かせようとするのが狙いだろう。
だが、4月に「公安は天皇のための尾行をやめろ!実行委員会」が結成され、反撃の闘いが始まった。実行委員会では共同声明運動を通じて、公安の人権侵害・権力犯罪を許さない声を広く集めている。
1か月に満たない期間で、約400の団体・個人賛同が集まっている。さらに大きく反撃の声を広げる取り組みに協力をお願いします。同封の賛同用紙をご活用下さい。
5月は、大飯原発再稼働差し止めと、厚木基地の自衛隊機夜間飛行差し止めで画期的な判決が出た。いずれの判決も、長年の―本当に長年の―粘り強い取り組みの成果であり、まさしく運動の力だ。
権力が最悪でも、一人一人は微力でも、決して諦めてはいけない。私たちは今、分水嶺を生きているのだから。