1月26日、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に従事する陸自の装備品を積んだ空自小牧基地のC一三〇輸送機一機が名古屋空港を出発した。
南スーダンPKOへの自衛隊派兵は、昨年12月20日に閣議決定され、まず1月11日に先遣隊5名が成田空港を出発。14日には日本代表を務める調整所長の生田目(なまため)徹一佐ら34人が派兵された。
今後は、3月にかけ一次隊約210人の施設隊が首都ジュバに入り、UNMISS(国連南スーダン派遣団)敷地内での宿営地設営と、道路や橋梁の補修などインフラ整備に着手する。5月以降には2次隊約330人を派遣し活動を本格化させる予定だ。
1月29日には、反安保実行委員会主催の「自衛隊の南スーダン派兵を許すな!1・29防衛省行動」が行われた。行動は、市ヶ谷駅近くの外濠公園に集合し、30分間の短い集会の後、デモ行進を行い、さらに防衛省にて申し入れをするというものだった。
集会では、主催者からの基調提起があり、海外派兵が恒常化する中、いまではゴラン高原、東チモール、ハイチ、ソマリアに続き南スーダンに自衛隊は派兵されていることになる。今年は、PKO法成立、カンボジア派兵からちょうど20年という節目の年になるとの発言があった。
続いて「沖縄を踏みにじるな!緊急アクション実行委」と「有事立法・治安弾圧を許すな!北部集会実行委」がそれぞれアピールを行った。集会参加者は、40名強といったところだったが、それを取り巻く公安の数はその5倍はいただろうか。こちらと公安との人数の格差が、ますます拡大しているように感じた。
その後のデモは、外濠公園を出発し、いったん四ッ谷駅前まで行き、すぐUターンして、防衛省ゲートの手前200m付近の歩道で流れ解散というめずらしいコース。解散後、防衛省ゲートに移動し、申し入れ行動に移った。申し入れでは6団体からの要請文を職員に手渡した。寒風吹きすさぶ中での厳しい行動だった。
野田政権発足を気に急浮上した言われる南スーダン派兵。内向きとの批判をかわすために国際貢献をアピールしたい野田首相の意向が大きかったそうだ。「外務省関係者は『事務方から情報が上がってきた中で、首相がいい玉だと思ったのは間違いない』と振り返る」と報じたのは昨年10月3日の毎日新聞。
また、外務省と防衛省との主導権争いも報じられた。昨年10月に行われた外務副大臣のアフリカ歴訪の中で予定されていたUNMISS代表との会談を防衛省が横やりを入れて潰したというのだ。「外務省がわがもの顔で主導するのは認められない」「外務省に野田首相を取り込まれ、『あれよあれよという間に陸自派遣の外堀を埋められた』(政府高官)ことへの怨念もあったに違いない」(昨年11月5日産経新聞)。
これらの真偽のほどはともかく、紆余曲折を経ながらも派兵強行に落ち着いたということは、政府としての共通利益がそれぞれに見出されていたからに相違ない。石油やレアアースなどの資源利権の獲得、アフリカにおける米国の対テロ戦争・中国けん制の後押し、国連常任理事国入りのためのアフリカ票獲得の布石などの国益が、それである。「国際貢献」など単に看板に過ぎないのだ。
また今回の派兵は、イラク派兵以来のかなり危険な派兵だ。当初、国連はスーダン国境近くでの活動を求めていたが、武力衝突の可能性があるため、自衛隊が断り首都ジュバでの活動に落ちついた。1月30日にはスーダンの南コルドファン州で武装勢力が中国人を含む建設作業員70人を連れ去った事件も発生している。命の危険にさらされる自衛官はたまったものではない。
そのためか武器使用基準の緩和の議論も蒸し返されている。昨年7月、「PKOの在り方に関する懇談会」は中間とりまとめを発表。「検討すべき課題」として武器使用基準の見直しなどを列挙した。
確かに、自衛隊海外派兵に対する抗議の声が、この20年で小さくなったことは否定できない。しかし、それは軍を国外に出すことの問題性がなくなったということでは決してない。これまで自衛隊が殺し/殺されることがなかったのは、単に偶然に過ぎない。
「国際貢献」の裏にある国益をこそ私たちは批判し続けなければならない。