12月19日、立川市の基地問題を担当する、企画政策課長らとの話し合いをもった。近年、立川基地を巡っては、主にヘリ騒音問題などを背景に行政レベルでも若干の動きがあった。来年で40年目を迎える「自衛隊」立川基地の現状をまじえてレポートする。
2010年8月に判決が確定した普天間基地の騒音訴訟では、基地訴訟で初めて「ヘリコプターの低周波騒音」の被害が認定された。これは従来の騒音とは異なり、耳に聞こえない低周波の騒音(振動)が人体に与える影響を認定した画期的な判決だった。
申入れでは、この判決をうけて、普天間基地と同様のヘリ基地である立川基地周辺での低周波騒音の調査を要請。測定機材の導入などを求めたが、市側の対応は、「低周波騒音は被害の実態がつかめず、国の調査研究待ち」ということだった。だが、環境課とも相談して、測定機材の借り入れなどについては検討してみると答えた。
それ以上に深刻なのは、自衛隊の恒常的な「飛行協定違反」の実態だ。二〇一〇年11月に武蔵村山市が独自調査を行ったところ、立川基地から飛来するヘリの実に7割が、飛行協定に違反する低高度飛行を行っていた事実が判明した。飛行協定は、一九八〇年に国と立川市が結んだもの。申入れでは、飛行調査を立川市でも行うことや、新しい協定の締結交渉を要請した。
市側はこの問題でも積極的とはいえず、「ちゃんと抗議はした。自衛隊も最大限努力すると言っている」などという程度の認識だ。基地周辺の市街化は一層進み、市民の環境意識も増している。今後も要請していきたい。
月に一度訓練飛行で飛来するC1輸送機の後継機XC2問題についても話した。防衛省は、C1を退役させXC2を導入していくとしているが、これ以上危険なジェット機訓練を短い滑走路しかない立川基地で行わせるわけにはいかない。
市にはいまだ防衛省からの正式な情報はないらしいが、試験飛行も含めて認めない強い姿勢を立川市に要請した。
2011年9月の立川市の防災訓練では、立川基地の自衛隊がヘリを上空旋回させるという「演出」を行った。旋回は基地外にも広がっており、自衛隊のパフォーマンスは目に余るものがある。申入れではそのことも指摘したが、基地対策担当はその事実を把握していなかった。自衛隊の登場が「当たり前」のことになり、市と基地の間での緊張関係が薄れていくことに強い危惧を覚える。
砂川地域に広がる旧米軍基地拡張予定地の再開発問題についても取り上げた。同地域は、私たちも参加する自主耕作者連絡会や、秋まつり広場などを管理する「木を植える会」などの自主利用が続いている。30年以上続くこうした活動が、買収国有地のフェンス囲い込みを許さない原動力となってきた。
市にはその経緯と意義をしっかりと認め、自主利用団体との話し合いを再開するように要請した。このことについては、前向きの回答が得られた。
3月の大地震以降、反原発運動への参加を軸にテント村でも新しいことに取り組んだ一年だった。都心の福島原発事故緊急会議や、多摩地区での「たまウォーク」などにも参加した。経済産業省前に張られた反原発テントには連日右翼の妨害があり、警察がそれに介入するというお決まりのパターンでの弾圧も始まっている。反原発の波をより力強いものにして、全国原発の再稼働阻止から、全基廃炉への道筋を新年もしっかりと歩む必要がある。
世界を見渡しても、アラブの春、ビンラディン暗殺、米ウォール街占拠、ロシアの冬、そして金正日死去と大きな転換の一年となった。米「タイム」誌は「今年の顔」に、世界中の「抗議者」を選んだ。
12年は、立川への自衛隊強行移駐から40年の年。テント村も40年を迎える。この節目の年に自衛隊の居座りを糾弾し、基地撤去へと攻勢をかける大きな行動も計画している。基地ある限り反基地運動は続く。まだまだやっちゃうぞ!