10月23日、今年も陸上自衛隊立川基地で「防災航空祭」が行なわれた。この航空祭は、元々は駐屯地祭という名前で行なわれており、自衛隊の宣伝イベントだった。今は「防災」をダシにしてはいるが、本質は変わらない。
このイベントが近づくと基地周辺地域は毎日、ひどい轟音に悩まされる。大量のヘリの編隊がリハーサルのために市街地上空を飛び回るからだ。89年の航空祭では、展示飛行(曲芸)をしていた飛行機が墜落事故も起こしており、一歩間違えば一般人を巻き込んでの大惨事になるところだった。
テント村は例年通り、航空祭の中止を求めて正門ゲート前に押しかけた。
あいにくの曇り空のためか、来場者は去年よりも少ない印象。それでもゲート前には、朝から長蛇の列ができていた。お祭気分の人々の前で私たちが横断幕を広げると、少しだけ空気が変わる。
警備の若い隊員に、申し入れに来たので駐屯地司令を呼んで欲しいと伝えると、すぐ後ろにいた隊員が「そういう物は受け取れないと言え」と耳打ちする。公務員は受け取り自体を拒否することはできないと迫ったら、この日の警備の責任者である隊員が出てきて対応した。
私たちが「このお祭り騒ぎの一体どこが防災なんだ」と尋ねると、「この駐屯地は広域防災基地の中にある」と答える有様。さらに「東日本大震災での活動の様子も展示している」とも。いまや自衛隊は困ったときの震災頼みのようだ。
しかし、自衛隊がこのような宣伝活動をしている間にも、基地周辺住民は常に危険にさらされていることを忘れてはならない。10月8日には航空自衛隊小松基地のF15戦闘機が、重さ155sの燃料タンクを落とす事故があったばかりだ。タンクは県の下水浄化センターに落下したが、破片は1q先まで飛んでいたという。現地視察が遅いという批判に対し、一川防衛相は「東京でやるべき仕事をこなすことが、国防全体から大事なこと」と発言。住民の暮らしなど、どうでもいいのだろか。
立川で同様の事故が再び発生したとしても、政府の対応は恐らく似たようなものだろう。軍事基地は、誰かに被害を押し付け、誰かの人権を踏みにじることなしには成立しない存在である。
今後も、防災をダシにした自衛隊の宣伝イベントの中止と、立川基地の撤去を求めて、声をあげ続けたい。
砂川秋まつりの準備が大詰めを迎えている。毎年協力してくれている大工のKさんが、シロアリに食われてしまったベンチを、廃材を使って作り替えてくれた。22日に予定されていた実行委の作業は雨で延期になったが、ひろばの草刈りをしたり、キウイ棚を新しく作ったりと、作業を随時進めているところである。
10月後半には会場周辺の地域や団地にポスターが貼られ、ビラ配りが始まった。25〜27日には会場付近の小学校で子どもたちにビラを配布した。ランドセルを背負って登校して来る子ども達は口々に、「前に行ったことある」だの「この日、たぶん行けると思うよ」だのと賑やかだ。
大山団地には福島から避難してきた人たちも暮しているというから、その人たちの手元にもビラが届いているといいのだが。秋まつり当日は、東北の被災地の写真展示も行なわれる予定だ。
砂川闘争では、「砂川を原水爆の出撃拠点にするな」とのスローガンが掲げられたという。いま、秋まつりのひろばの放射能測定値は0.1マイクロシーベルト。放射能被害の心配が他人事でなくなった砂川で、今年も秋まつりを成功させたい。ぜひ!