3月11日の未曾有の大震災発生から、2週間以上たった。死者は2万人以上にのぼると推定されている。東京では生活全体が脅かされる状況には至らなかったが、東北地方では太平洋側を中心に、地震と津波で多数の街が壊滅状態におかれ、今も家族の安否確認がとれない人々や、十分な支援物資が支給されず困窮を極める人々があふれている。加えて、福島第一発電所での原発事故による放射能汚染など、二次災害・三次災害とよべる問題が同時多発し、自衛隊は戦後かつてないほどに人々からの賞賛を浴びている。正直、どの問題から手をつけていいのか分からなくなりそうな状況だ。
こうした中、都内では東京電力福島第一発電所での原発事故に抗議し、原発政策の見直しを求める集会・抗議行動・デモが連日行われている。
反原発運動を長年担ってきた「たんぽぽ舎」の集会は平日・週末を問わず連日行われており、26日に予定されていた年次総会は抗議集会に変更された。当日予定されていた広瀬隆氏の講演には予約が殺到し、急遽、昼夜の2回講演になった100名程度の会場は2回とも人が入り切らないほどだった。
広瀬氏の講演で印象に残ったのは、放射能汚染についての見解である。巷では放射能汚染の防止についてデマに近い情報まで乱れ飛んでいるが、広瀬氏は言う。
「牛乳から放射性物質が検出されたということは、もう水や土壌が汚染されているということ。つまり食物連鎖の中に汚染が入り込んでしまったということだ。これは私たちが、放射能汚染された食品や水を摂らざるを得ない時代に突入したということを意味する。その責任を、政府と電力会社にどう追及していくのかが問われている」。
新橋の東京電力本社前では3月18日から、抗議アピールが連日行われている。この行動はフリーター全般労組の組合員である個人有志がよびかけて始まったもの。最初は数人でマイクを回し歌をうたう小さな行動だった。しかし27日の銀座デモ(よびかけ:たんぽぽ舎ほか、1200名が参加)の後には200名以上の人々が東電本社前にかけつけるなど、抗議は凄い勢いで広がりつつある。
東京で使う電気のために、我々は福島の人々や現場の労働者を犠牲にしたくない。すべての原子力発電所を即時停止し、原発政策を改めるよう求めたい。
3月25日は「2・20アメリカ大使館前弾圧抗議集会」が行なわれた。この弾圧は、沖縄高江へのヘリパッド建設に対するアメリカ大使館への抗議行動の中で起こったものだ。よびかけは「2・20アメリカ大使館前弾圧救援会」。参加は約50名。
昨年12月末から今年2月末にかけて、高江ではヘリパッド建設工事が強行され、東京では沖縄緊急アクション実・辺野古実・ゆんたく高江が共同で緊急行動を行なってきた。集会はこれらの行動をふりかえると共に、今回の刑事弾圧だけでなく、東京都公安条例の問題や、民事弾圧であるスラップ訴訟(仮処分や損害賠償請求などによる国や大企業からの攻撃)の問題をも考えるものになった。
当該2人からの報告では、1人目の「赤坂1号」は「最近の警察はずいぶん優しくなった」と発言し参加者のど肝を抜いた。野宿者労働者支援の運動を長年担ってきた氏は、昔の弾圧は逮捕された瞬間にリンチまがいの暴行を受けるのが常だったという。もう一人の当該「赤坂2号」は何の容疑なのかさえ伝えられないまま逮捕された。留置所内では刑事訴訟法の本を片手にハンスト、取調べ拒否、朝晩の点呼の拒否など、あらゆる抵抗を試みたそうだ。
集会後の交流会では、10万人規模で三軍統合運用したうえ米軍も引っ張り出し、今まで「やってみたいけどやれなかった」ことを次々に実現させている自衛隊の問題などについて、活発に意見が交わされた。4月4日には、市ヶ谷の外堀公園で花見情宣をしたのち、夕方から一坪反戦地主会関東ブロックの防衛省前行動に合流する予定だ。
大本営発表のような記者会見に英霊礼賛のような自衛官礼賛と、まるで戦時下の様相を呈してきている今だからこそ、軍隊の問題から目をそらす訳にいかない。積極的に屋外で声をあげていきたい。