テント村通信アーカイブ



普天間基地を閉鎖し、原っぱにしよう!(2010年5月号掲載)




  5月3日の立川憲法集会。沖縄から招いた高里鈴代さんが、開口一番に語ったのは、
@自分を含めた沖縄と、集会参加者それぞれを含めた本土との間の暗く深い溝を感じるということ、
A午前中の基地めぐりで、春の花咲き緑あふれる砂川の自然に感動した。
ということだった。

 砂川の「今」を見ていただけたことが正直うれしかった。「砂川闘争」の「拡張中止、闘争勝利」は一つの出発点であり、旧拡張予定地をどのようなものとしてとりもどすかは、未だ大きな課題だ。


憲法集会準備に明け暮れた春


 4月11日のすわっ祭参加学習会「韓国併合100年―過去に学び未来を築く」は、柴崎学習館の教室が一杯になる盛況だった。この間の例からすれば異例で、講師の高崎宗司さんの力によるのか、はたまた我々が気付かない宣伝効果があったのか、原因は不明だ。

 だが、気をよくして一気に5月3日の集会に邁進、というわけにはいかなかった。24日の駅頭情宣はわずか3名、昨年の10名には遠く及ばなかった。例年設営と受付係役を引き受けてくれる立川市職労が市役所移転作業で「全滅」だという。2日前にひたすら助っ人お願いの電話をかけた。ありがたいことに、24回目ともなるとちゃんと助っ人がかけつけてくれる。会議での意思一致不足、連絡の不十分が反省点として残った。


歌唱指導にジャンベ / リレー発言と三線演奏


 吉村さんの日本国憲法「決意」の歌唱指導に今年はさっちゃんのジャンベが加わり、ノリもリズムもぐんとよくなった。横田の新団体事務局の塚本さん、沖縄の写真を撮りつづけている山本さん、野宿者支援ネットの星さんのリレー発言のあと、高里鈴代さんの講演が1時間半。今年はマイクの音も聞き取り易く、会場は基地の島、とりわけ女性に関わる沖縄の歴史と現実に集中して耳を傾けた。

 休憩時間には、展示・販売コーナー、喫茶たんぽぽやお茶コーナーに人々が群がり、会話の花が咲いた。そして2人の支障を囲んで弟子たちが居並ぶ三線演奏とうた5曲。最後の「安里屋ユンタ」には手拍子と指笛も飛んだ。

 質疑・討論の時間に残ったのは100名以下だったが、基地の経済効果論と返還後の開発、アメリカの市民と直接つながる活動の可能性、基地・軍隊の学校や祭りを通じての周辺対策、米軍のあとに自衛隊が入ってくる問題についてなど、さまざまな質問が出された。最後に集会宣言を採択して、3時間半近い集会を終えた。

 交流会の参加は去年より少なかったが、高里さんを囲み、ゆっくりと中華料理を食べながら会話がはずんだ。


「5月末決着」の必要なんかない


 冷戦後、アメリカの軍事的覇権が強まった。日米安保は「日米同盟」と呼ばれる軍事同盟になり、アメリカに頼っていれば、安心・安全も得られるし、アジアでの日本の覇権も維持される―アメリカを怒らせると怖いぞ!とマスコミは煽り立てている。

 だが、高里さんが女性の運動の歴史を中心に語った基地沖縄の現実は、軍隊・基地のある社会が「平時」にいかに安全・安心を損ない続けるものであるかを示している。最初に高里さんが切り出した沖縄と本土の間にある暗くて深い溝とは、その認識の欠如を指していると思う。かつて基地の現実を体験した私たち自身が、記憶を蘇らせ、伝えていく必要がある。

 高里さんの女性の運動に関する話はとりわけ興味深かった。男性から「はじめて聞く視点」などのノー天気な反応がでていたが、無視して彼女が話を進めたのも面白かった。立川でも、朝鮮戦争の時期に華やかだった「基地経済」を若い女性たちの売春が支えていた。沖縄では、かつて米兵相手の売春はさとうきび産業をしのぐ勢いだったという。以前は女性が米兵による性的暴行を受けたとき、泣き寝入りしたり、逆に「スキがあった」とバッシングにあったものだ。だが、今はかつての被害者も加わった女性の運動が発言し、行動するようになった。―私たちの学ぶべきことは本当に多い。

 5月4日、鳩山首相の沖縄訪問後、高里さんたちは共同記者会見で「じっくりやってください」と要望するそうだ。私たちも声をあげ続けよう!



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