テント村通信アーカイブ



安保50年 ―安保絶対感を突き崩そう!(2010年2月号掲載)




   1月19日。50年前(1960年)のこの日、新安保条約がワシントンで当時の岸首相とアイゼンハワー大統領との間で調印された。「自主外交」を掲げる岸が念願であった安保改定を果たした瞬間であった。

この当時、米側にも
@日本の基地闘争が増大し、反米感情が高まるのを憂慮した、
A大量報復核戦略から戦術核の多用へと核戦略を転換し、在日米軍削減が可能となった、
B当時、台湾海峡の緊張が増大しており、在日米軍基地の摩擦を解消する必要があった、
などの事情があったとされる。

 改定交渉では、すでに米側から米国は日本防衛の義務を負うが、日本は憲法の制約により米国防衛の義務がないことへの批判が出ていた。これを受けて六条が設けられ、日本は極東の平和と安全のために在日米軍に基地を提供することになった。これにより、安保は「双務化」され、国連憲章との関連、内乱条項の削除、条約期限の設定、事前協議などが盛り込まれたという。


危機を契機に拡大した日米安保


 そして50年後のこの日、日米両政府はさらなる安保深化のための共同声明なるものを発表した。

「日米同盟は、日米両国が共有する価値、民主的理念、人権の尊重、法の支配、そして共通の利益を基礎としている。日米同盟は、過去半世紀にわたり、日米両国の安全と繁栄の基盤として機能してきており、閣僚は、日米同盟が引き続き21世紀の諸課題に有効に対応するよう万全を期して取り組む決意である。日米安保体制は、アジア太平洋地域における繁栄を促すとともに、グローバル及び地域の幅広い諸課題に関する協力を下支えするものである。閣僚は、この体制をさらに発展させ、新たな分野での協力に拡大していくことを決意している。」

 日本語訳のせいもあろうが、安保条約が「日米同盟」という表現に変化している。「共通の利益」というのは、かつては西側自由主義経済体制に基づく価値観を意味したが、現在は「対テロ戦争」の同志を意味する。対象地域が、極東からアジア太平洋、グローバルに拡大している。これらの点を見ただけでもいかに安保が変質したかがよく分かる。

 安保条約は、危機のたびごとに強化されてきた。というよりも、変化の機会をとらえ日米両者が日本の軍事力強化=日米軍事協力という共通の利益を導き出してきたといえる。


新たな安保50年を、一刻も早く終わらせよう!


 1月24日、名護市長選において辺野古新基地建設に反対する候補が勝利した。またぞろ同盟の危機だと煽る論調が跋扈し始めた。

@日本は米国を守らないから米から安保が不平等だとまた批判が出る
A日本の安全のためには米軍の抑止力が必要である。米軍にいてもらうには基地を差し出さなければならない。
…こういった主張がいまだに幅をきかせている。

 しかし、@は50年前の「双務化」によって解消されているはずであり、もう十分に基地を提供しているのだから問題にならない。Aは、もはや日米安保は日本防衛のための条約ではない。グローバルな、米国の権益獲得のための同盟に変質しているのだ。これらの点は日米両政府がよく熟知しているはずだ。

 岸が訪米に向かうその日、当時の全学連主流派は岸訪米阻止闘争を羽田空港で行い、多数が逮捕された。「こうした学生の直接行動によって人々の関心が喚起されるとともに、整然としたデモ以上に抗議の意志を明確にした全学連に対して、好意がよせられるようになった」(道場親信『占領と平和―<戦後>という経験』05年、青土社)。こういった直接行動をきっかけに、衆院での強行採決後、民主主義の危機、民衆の抵抗権という課題が運動の中で意識されるようになったという。

 50年後、鳩山もオバマも、米国にも行かず、日本にも来なかったが、安保だけは自動的に延長されつづけている。すでに安保があるのが当たり前、安保のおかげで日本が繁栄した、安保が外交の基盤。外務官僚や政治家だけでなく、民衆各層にまで、まるで空気のように日米安保をとらえる思考が蔓延している。こういった安保絶対感こそ、私たちは突き崩していく必要がある。50年後の今日、普天間基地を巡って安保の危機が叫ばれているからこそ、逆に安保強化に利用される恐れがある。新たな50年が早く終わるよう、もう一度安保廃棄の声をあげていこう。



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