テント村通信アーカイブ



2010年も反戦・反基地・反天皇制を貫こう!(10年1月号掲載)




いろいろあった2009年

 2009年はまず、ソマリア派兵から幕を開けた。政府は1月に、自衛隊法第八二条の海上警備行動を発令して海自の護衛艦をソマリア沖に派遣する方針を固めた。3月には護衛艦2隻と人員約400名が日本を出港。6月にはいわゆる「海賊対処法」が成立。10月からはP3Cなども加わり、陸海空三軍統合部隊で活動するようになった。

 また2月には、航空自衛隊のイラク派兵部隊の任務が終了し、03年12月から続けられてきた日本のイラク派兵がやっと終わった。また同月には、オバマ米大統領がイラク駐留米軍の撤退計画を発表。2011年末までに14万人いる米軍を完全撤退させると表明した。しかし、その後も政府機関を狙った大規模な爆破事件が頻発しており、来年3月の連邦議会選挙に向けて攻撃が激化すると予想されている。

 4月には北朝鮮によるロケット発射、5月には2回目の核実験が立て続けに起こった。6月には国連で加盟国に貨物検査を認める制裁決議が採択された。これを受け政府は7月、自衛隊による海上保安庁の警備を可能にする「船舶検査法案」を国会に提出したが、衆院解散で廃案となった。しかし、政権交代後には民主党政権が自衛隊関連の規定を削除して再提出、現在、継続審議となっている。

 8月は、選挙一色の夏だった。衆院選では民主党が圧勝し、戦後初の選挙による政権交代が起こった。その後民主党は、脱官僚を掲げ、矢継ぎ早にさまざまな分野で政策転換を打ち出していった。ダム問題や行政刷新会議などの問題では賛否両論を巻き起こしながらも、高い支持率を保ってきた。しかし、最近になって普天間基地問題や政治資金問題の影響で、それにもかげりが出てきたと報じられている。

 11月には、ブッシュ、オバマ来日と天皇の即位20年式典があった。ブッシュ来日の目的は不明だったが、オバマとは日米同盟深化が約束されたものの、普天間問題のせいで進展していない。

 11月12日の天皇「即位の礼」の日を祝日化するという法案は、船舶検査法同様、7月の衆院解散で廃案となった。そのせいか、我々から見てもショボい奉祝イベントだったように思う。その後の12月の中国・習近平国家副主席と天皇との会談をめぐる「政治利用」問題の方がよっぽど注目を浴びている。国事行為にない皇室外交などを散々やらせておきながら、いまさら「政治利用」も何もないが、会談を斡旋した「元首相」に中曽根の名も飛び出し、自民・民主間で泥試合化している様相は、権力内部でまだ中国との向き合い方が統一されていない証左だろう。


海兵隊グアム移転は、司令部だけではない


 12月には、普天間基地問題をめぐって大詰めを迎えたが、鳩山首相は決着を年明けに先送りした。
 宜野湾市の伊波市長の主張によれば、米軍は06年のロードマップ以降、海兵隊をグアムにほぼ全面的に移転する方針に転換したという。米軍関係のその後の数々の報告書によれば、グアムに行くのは司令部要員だけというのは日本政府のウソで、辺野古に行くヘリ部隊だけでなく、残るはずの地上部隊までグアムに行くリストに入っているというのだ。

 これは注目に値する。世界的な米軍再編のポイントは柔軟な運用である。高度に情報化・機動化した米軍にとって、グアムいても作戦上は変わらないと判断しても決しておかしくはない。グアムに移転すればいいという訳でないが、米軍は辺野古に必ずしも固執していないという伊波市長の主張はもっと注目されるべきだ。


新年も立川テント村をよろしく!


 また、12月2日にはオバマ大統領が3万人増派、11年7月撤退開始とする新アフガン戦略を発表した。イラクからは撤退してもアフガンでは戦線を拡大するという戦略であり、対テロ戦争はオバマも続けるという表明だ。

 日米の政権交代で、軍事・安保政策にも一定の変化が起こったが、それが必ずしも反戦・反基地の立場から是認できるものとは限らない。一時の政権交代に惑わされることなく、テント村は、これまでどおり反戦・反基地・反天皇制を貫いていきたい。新年も立川テント村をよろしく! 



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