テント村通信アーカイブ



政権が変わっても反戦を貫こう!(09年10月号掲載)




自民党との共通性をこそ批判すべき

 9月16日、民主党・鳩山内閣が発足した。官僚政治からの脱却をスローガンに、新政策を次々に繰り出している様は確かに、これまでの自民党の姿とは一変したようにも見える。しかし、そんな内閣の中で、あまり変わった印象を受けないのが、北沢俊美防衛相である。

 就任早々、普天間基地移設問題では、「(移設しても)まだ1万人の米軍が存在する。現実を直視して対応を協議したい」「理想を現実にしていくことは厳しい道のりだと思う」などと述べ、県外・国外移設を困難視する考えを示唆し、見直しに意欲を示す岡田外相との齟齬が指摘された。鳩山首相ですら「(県内移設見直しという)ベースの考えを変えるつもりはない」と明言しているにもかかわらず、現地視察後の現在でも「困難だ」と言い続けている。

 また、8月末に党としては先送りする方針であった防衛計画の大綱と次期中期防についても、「我が国の防衛に指針がないということが世界に与える影響は大きい」などとして年内に取りまとめる考えを示した。これにより、抜本的な方針転換や予算の削減などは不可能になったという。しかも、八月に発表された、ミサイル防衛のために集団的自衛権見直しを求めた「安全保障と防衛力に関する懇談会」の報告書も一部活用して策定するという考えも示した。

 インド洋派兵継続中止を明言してはいるものの、それ以外については防衛省寄りの現状維持の姿勢が目立つ、つまらない大臣だ。防衛政務官の一人にタカ派でソマリア派兵の言い出しっぺである長島昭久が入っているのも見逃せない。

 今後の民主党政権の政策を予測するのは難しいが、個別の政策は違っても、「テロとの戦いは国際社会の総意」「日米同盟は安全保障の基軸」など、基本的な「安全保障観」は、自民党と似通っており、そこをこそ私たちは批判していく必要がある。


「対等な日米関係」=「対等な軍事力」ではない


 1954年にも鳩山ブームがあった。「腐敗に飽き、鳩山のかもし出す解放的、庶民的な雰囲気に共鳴を感じた」「吉田の対米よりかかり姿勢に反発を感じ、自主独立を前面に押し出す民主党の民族主義路線に好感をもった」(冨森叡児『戦後保守党史』)。鳩山由紀夫の祖父・鳩山一郎がつくった日本民主党内閣発足時の世相を記した記述である。鳩山首相は、国連総会で祖父の「友愛思想」を紹介したそうだが、同時に強烈な民族主義者だったことを忘れてはならない。その後、鳩山一郎は、憲法調査会法案、小選挙区法案など改憲のための施策や日米安保条約の双務化を実施しようとするが失敗し、保守合同で初代自民党総裁となる。

 私たちは、冷戦崩壊で一度くっついたものがただ離れたということに新鮮味を覚えているだけなのかもしれない。戦後政治のなかでは、対等な日米関係とは、つねに対等な軍事力の保持を意味してきた。軍事強化という点では、反米も親米も同じなのだ。今後の鳩山政権の実像を反戦の視点でしっかりと見ていかなくてはいけない。

 10月25日には、立川基地のまつり、「防災航空祭」が行われる。名前には「防災」とあるが、元は「駐屯地祭」という、自衛隊の軍隊としての能力をアピールするためのまつりだった。当日は、ヘリの体験搭乗や展示飛行などが行われるが、爆音を轟かして行われる曲芸飛行は、非常に危険なものだ。89年には、墜落事故も起き、パイロット2名が死亡している。駐屯地祭は、地域住民に対して軍隊と基地の存在を認めさせていくイベントだ。地域で反戦を訴えるテント村としては、当然これに抗議していく。当日は抗議の情宣を行うので、多くの方の参加を訴えたい。政権が変わっても反戦を貫こう!



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