テント村通信アーカイブ



原発再稼働を許すな!
全原発の廃炉を求め3月の闘いへ!(2012年4月号掲載)




 福島原発事故から1年が過ぎた。年末、政府は「冷温停止状態」という表現で事故の「収束」を宣言したが、現実は程遠い。4号機のプールは原発3台分の核燃料を保管しているが、建屋はちょっとした地震で崩壊、大量な放射性物質が放出されかねない。2号機では最近、圧力容器には冷却水が60センチしかなく、大量な放射性冷却水が環境中に漏れだしたことが判った。

 それでも、政府と電力会社は原発の再稼働を狙っている。60年にもわたる核の「平和利用」、原発推進の政策を撤回させ、すべての原発を廃炉にする決定的な闘いが必要だ。


県民集会とシンポジウム


 1周年の3月11日、福島の郡山市では、1万6千人の原発廃止を求める集会とデモが行われた。当初この集会の基調は「除染と復興」だった。しかしその準備のなかで、反原発・再稼働阻止の主張が確立された。


 このかん福島の人々は、甚大な放射能にさらされ、コミュニティを壊された。しかしまともな補償や診察を拒否され、避難の権利さえ認められず、「安全神話」の垂れ流しのなかで口を封じられてきた。それを突破する討論の拡がりと、反原発・再稼働阻止の方向性が明確にされたことは大きな転換点だった。


 その前日には、全国から参加した人々を含め、様々なシンポジウムが行われた。「被曝労働者の実態」のセッションには、定員30人の部屋に120人以上が詰めかけた。80年代に敦賀で原発労働者の組合を作った斉藤征二さんの話を聞き、原発労働者とどう連帯していくか話し合った。


 地元の方によると、家族を会津などに避難させる一方、父親は浜通りの仮設住宅から事故現場に通う例があるという。このセッションは、福島の自治労や全国1般労組などが企画し、首都圏の「被曝労働を考えるネットワーク」も準備に参画した。この企画を1つの契機に、4月22日には、都内で被ばく労働問題の交流討論集会」が開催される。


成功した国会包囲行動


 同じ11日、都内では首都圏反原発連合のデモと、再稼働阻止アクション(福島原発事故緊急会議の呼びかけ)による国会包囲行動が展開された。参加者は1万2千人。この画期的な結集は、もちろん事故1周年ということもあるが、両者の相互協力が大きく働いた。

 当初、包囲は国会の塀沿いに行う計画だったが、警察の規制で反対側の歩道で手をつなぐことになった。そのぶん距離は延びても、ヒューマン・チェーンは2重3重、所によっては歩道全部を人々が埋め尽くし、再稼働阻止を叫ぶ形になった。

政府は天皇を呼んだ集会で、ひたすら「追悼」の枠のなかに「3・11」の意義を囲い込もうとしたが、それを突破したのである。


 3月26日には東電の原発が全て停止した。一方、政府は北海道電力の泊原発の定期検査入りを5月5日にまで延期し、その間に関西電力の大飯原発を再稼働させようとしている。福島原発事故緊急会議などは、23日の関電抗議行動を皮切りに、5日連続の抗議行動にとりくんだ。大飯原発のストレステストの結果を是認しようとする安全委員会への抗議、原発関連4大臣の「政治判断(再稼働是認)」を許さない首相官邸前抗議行動などである。 特に25日の福井現地集会には、たんぽぽ舎を中心に30名ほどが参加。雪やみぞれが降るなか700名の現地の人々と共に「大飯再稼働阻止」を叫んだのである。


すべての原発を止めよう!原発労働者と結びつこう!


 こうした動きをうけて、再稼働阻止アクションは4月11日、 関電と経産省に抗議し、ふたたび国会に向かうデモを行う。

 「原発の是非」のそもそも論はいったん置こう。それにしても原発事故の原因が徹底究明され、それが是正されない限り原発の再稼働はありえない。そして「原因」とは、単に全電源喪失をもたらしたのは津波か地震かという、技術的なものではない。また、このかん事故を隠し、安全対策を怠ってきた政府や東電のやり口だけでもない(ここには原発内での労働者の闘いがなかったことも含まれる)。

まさに福島などに補助金をエサに原発を押し付けてきた、戦後60年の原発推進の歴史が問い返される必要がある。すべての原発の停止と廃炉は、その第1歩にすぎない。更に闘いを進めよう。



テント村通信記事 メニューに戻る